古代における埼玉地域の様子

古代の埼玉には、延喜式に記載されている神社があり、今日の基礎となる伝統が作られていました。大宮の氷川神社は、出雲からの影響を受けていると言われ、古代の時代から篤い崇敬を受けていました。

 

北部の利根川流域では、圧倒的な権力を持った勢力があったことが分かっています。遺跡は埼玉古墳群として残り、規模は国内でも屈指のものです。中央政権との関係については、謎の部分も多いのですが、現在の行田市の地域には天皇とのゆかりが深い一族が存在したことは確かです。

 

古代の埼玉は、朝鮮半島との関係が深く、独特な文化を作り出していたことも有名です。日本との関係が密接だった百済が滅亡してからは、人々は埼玉の地域に亡命し、様々な文化を伝えました。渡来人たちが移り住んだ地域は、高麗郡や新羅郡と呼ばれるようになり、武蔵国の中で繁栄するようになりました。この地域の鎮守となる高麗神社は出世のご利益がある名所として知られ、現在は埼玉を代表する観光名所の一つになっています。